「事実」と「真実」について考えた [ログ]
みなさま こんばんは
naoさんです \(^o^)/
いつもブログをご覧いただきましてありがとうございます (*ᴗˬᴗ)⁾⁾ Thanks!
「事実」と「真実」の違いとは?
事実と真実という2つのコトバがあります
これらがどう違うのか
アナタは説明できますか?
2つのコトバの意味を比較して考えてみますね
ただし哲学的な意味まで踏み込んでいくと非常に難解になるので
あくまでも科学的な意味までで考えることにします
「事実」実際に起こった、または存する事柄。Oxford Languageの定義より引用
「真実」うそや飾りのない、本当のこと。まこと。Oxford Languageの定義より引用
このような意味の違いがありますが、理解できますか?
簡単に表現するとすると
「事実」とは実際に起こった、あるいは存在するウソ偽りのない事柄のこと
一方「真実」とは「事実」に対するウソ偽りのない解釈のこと
といった感じでしょうか
まだ分かりにくいですよね (^^;
もう少し分かりやすくなるように例を考えてみますね
事実:地球から見た太陽は東から昇り西に沈む
真実:地球は自転している
どうでしょうか?
「事実」と「真実」の違いがイメージできましたか?
つまり
人間が五感を使って認知している「事実」は
間違った分析をして認知してしまうと
「真実」にはならないことがある
と言えます
「真実」を導き出すスキル
現代社会は「情報」に溢れた社会
さらに言えば「情報」に溺れる時代
であると言えます
そんな中で大切なことは
情報を区別すること
そこから「事実」を選別すること
「事実」から「真実」を導けること
であろうと思います
このスキルを日ごろから磨かなければ今の時代を生き抜くことはできない…
かも知れません
もちろん「情報格差」の問題や「情報の信頼性」の問題など
多くの問題やトラップが待ち受けおり「事実」を得ることすら非常に難しくなっています
さらに「真実」を導くことも訓練が必要でしょう
「真実」にたどり着く難しさの例として次の話を紹介します
Valloneら (1985) は1982 年に
レバノンのパレスチナ人難民キャンプで起きたイスラエル系民兵組織によるパレスチナ人虐殺事件報道を題材にある実験を行いました
全く同じ内容をイスラエル寄りの人とパレスチナ寄りの人に見せてその反応を調べたのです
結果、イスラエル寄りの人たちは「報道がイスラエルに対して批判的である」と認知し
パレスチナ寄りの人たちは「報道がパレスチナに対して批判的である」と認知していました
実験の詳細はコチラにありますので興味のある方はご覧ください
この実験が言わんとすることは全く同じ情報に触れていても
それぞれの人の信念や常識や偏見により認知された情報は異なっているということ
「私は偏見など持っていない」という人を見ることは多いですが
偏見のない人はほぼ皆無でしょう
つまり偏見を持っていることは前提にして情報に接することが必要です
その場合、自分はどういった偏見を持っているのかをキチンと知っていることは非常に重要です
今の世界の問題の多くは「真実」を正しく導けないことに起因する問題が多いと感じます
「正しく導けない」要因としては様々あります
情報の質、悪意のある情報、偏見、固定観念…
トラップは数多あります
真実を導くスキルを養うためには自分を知ったうえで日ごろから訓練することが必要でしょう
そう考え、今このときから「スキル」を磨こうと誓うnaoさんなのでした
今日はここまで
以上、naoさんでした (^_^)v
最後までお読みいただきましてありがとうございました (*ᴗˬᴗ)⁾⁾ Thanks!
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